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学区紹介
矢倉村は草津宿の南に接し、集落は東海道をはさんでその両側に整然と並ぶ街村と村域の中ほど西南部で矢橋街道に沿う出屋敷(大塚地区)との二つの集落からなる。明治13年刊行の「滋賀県物産詩」によれば、面積144町歩、戸数143軒、人口778人で全戸農業である。耕地95町歩の内、水田率は93%とある。当事の「草津町矢倉全図」を見ると目立つのは溜池の大きさとその数の多さである。北西には膳所藩により造成されたといわれる野池、大池、頓蓮池(水利権は木川村、山田3ヶ村が持っている)三ツ池の面積合わせれば16町歩。東部には馬池、中池、新池が矢倉村の用水池で計9町歩である。これだけでも合計25町歩余りある。村域の17%が溜池というのは他村に比して大きい。矢倉村の溜池9町歩余は用水不足のため江戸時代末期(1837年)山本喜六の尽力により隣村追分村内に土地を求めロクハ池(周囲9町歩)を造成して、この水を中池に送ることとした。矢倉村は瀬田丘陵のはずれにあり生活を支える農耕にとって水源の確保は何よりも大変だったことが伺える。現在は、琵琶湖の水が汲み上げられるようになり、溜池も住宅地へと姿を変えている。(矢倉見聞録より)